ハトの恩返し

突然だが、ここに来ているよいこのみんなはハトの卵を食べたことがあるか?わたしはある。
ハトの卵の味は、ハトの卵を食べたものにしか分からない。昔の人はよく言った。けだし名言である。
皆のしていない経験をするということは、こんなに気持ちのいいことなのだ。
だからとってもめずらしいシチュエーションに出会うことがあったなら、避けることなくなんでも体験してみることを
オススメする。

私がまだ会社に勤めていた頃、その会社のトイレはハトに占領されかかっていた。
とにかく油断のならないヤツらである。ちょっとでも窓を閉め忘れようものなら、なかに侵入してフンをしてゆく。
ここがトイレである、ということをわきまえているかのようだ。
しかも閉め忘れたまま用を足していると、窓枠に腰掛けてニヤニヤしながらこちらを見下ろしている。
いや、信じられないだろうが確かにニヤついていたのである!
まるで変態ハトである。かくしカメラでもついているんじゃないかと疑いたくなるほど、
その場面によく行き合わせたものだ。

そして閉め忘れたまま帰ろうものなら、翌朝には床一面のハトの糞だ。文字通り足の踏み場もない。
これを片つけるときの気持ちといったら…。閉め忘れた自分への怒り、情けなさ、そしてこんなに思い切りよく
糞をばら撒いていったハトへの憤り、そして今日が清掃屋さんの来る日ではないという、不運に対する絶望…
せめて便器の中にしてくれよ…という無茶な願望。いろんな感情が交錯するのであった。
カビカビになって取れやしない。タワシでこすったり、もんじゃ焼きのヘラでこそげたり…
車に糞をされたことのある人なら分かるだろうが、なかなか取りにくいものなのだ。
乾ききらずにべちゃっとしているのもまた気持ち悪い。そんなのをタワシで便器に移し、床に水をまく。
まいた水を紙で吸い取る。大変な作業だ。仕事もそっちのけで糞作業。
やっと終わったと思い、出ようとすると、ドアのノブにもべったりだ。

それなら窓なんか開けなけりゃいいのに…。それはそうなのだが、う○このときは臭いからついあけてしまうのだ。
風向きが悪いと余計臭くなってしまうのだが…。食事中の人、すまん。(食事中にパソコンやる奴もいないか)
しかも私の場合、抜けてるというか経験値ゼロというか、まあ大体8割位の確率で閉め忘れるのであった。
自分のだったらまだいいが、ヒトのが臭くて開けた場合の気まずさといったらないぞ。しかも閉め忘れて糞だらけだ。
…立場なし。

そんなハトとの戦いの毎日のなかでひとつだけ、ハートフルな思い出がこのタマゴである。
いつものように窓を閉め忘れて、翌朝トイレに入った私を襲った光景は…。
いつもにも増してものすごい量の糞と、そしてひとつの卵。床の上にぽつんと産み落としてあったのである。
それは一見、ウズラの卵にも似たサイズ。白くてちょっと斑点のはいった、かわいらしいものであった。
その日の糞かたしは、いつものようにイライラすることもなくむしろうきうきで、頭の中は卵でいっぱいだ。
私は先輩のAさんに持ちかけてみた。「ね…。割ってみてもいいかな?」
「やめときなよ!ハトのひよこが出てきたら怖いじゃん」
ハトもひよこというのだろうか…。しかし産んだとすれば、昨日の7時以降、今日の8時以前だ。
一日くらい暖めたといって、ひよこがかえることもないだろう。
そこですし用の小皿に割ってみた。反対していたAさんも興味しんしんだ!

わりと普通の卵である。白身と黄身があって、ウズラと変わりない。
ハトのひよこも黄色であることをはじめて知った。
私、「無性に食べたくなった。焼いてみようか。」
「頼むからやめてくれ!」

散々反対された。Aさんの言うことには、ハトは鳥の中でも一番汚くてバイ菌だらけなのだそうだ。
しかもジョン・ウーの映画に出てくるようなキレイな白いハトではなく、薄汚い都会のドブハトだ。
卵なんかバイ菌が濃縮されていてきっと下痢をする。そしてまたトイレの窓を閉め忘れるのだ。
しかし食べたくなった私の衝動を抑えるには、そんな理由では足りなかった。
食欲が、好奇心が、理性を抑えた瞬間だ!
生で食べないだけ人間らしいというものだ。

そうして出来上がった目玉焼きは、ごく普通の形をした、ちょっと小さ目のかわいいヤツである。
ちょっとドキドキしながら食べたその味は…!う~む、これぞ大自然の味。まったりテイスティ…のはずもなく…

ま、まずい…!!

まず、しょっぱいのである。イヤな感じの塩辛さだ。
そしてドロとホコリを一緒に食べたような味。いや、ドロもホコリも食ったことはないが…。
たぶん金魚を食ったヒトもこういう味を味わったのではないか。「ドロくさい」と聞いたことがある。
見た目はかわいいのになんだ!この味は!人をバカにするのもほどほどにしろい!
まずます怒り心頭な私であった。

……しかし、腹痛などは何もなかった。今も立派に生きている。ハト=バイ菌説は怪しいことが判明。

それにこれから人にハトの卵の味を聞かれることがあっても、きっぱりと答えることが出来るし、
これでよかったんだと自分に言い聞かせ、前向きに考えることにしたのであった。